不登校の子をもつ親は幸せではないのか?
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高校生のころ、夏の講習は、親に手紙を書いてもらって、さぼっていました。
私は、小学生のときにした低温やけどが原因で、ずっと右手が神経痛のように痛く、ノートをとることやテストが苦痛でした。ひどいときには、強くつまむことで痛みの感覚を麻痺させて、忘れようとすることでテストを乗り切ることも。
でも、明らかな骨折とか傷とかと違って、外から見えないので、人からも理解されず、普段の授業にプラスして、夏の講習まで苦労したくなかったためです。
人から見て問題なくても、本人にとっての原因はある、そう自分の子供の不登校に対して意外にスムーズに考えられたのは、この腕の痛みの経験もあるのかもしれません。
不登校、いうといろいろ問題視されるし、一通り悩みました。
で、悩みはしますが、一貫して「不幸か?」と言われると、答えは「ノー」です。
不幸、とまで言わなくても、苦しい大変だ、こんなの状況は求めていたものじゃない、って親側が感じることって、確実に子供に伝わりますよね?
そうして、自分を責めたり、遠慮したり、意見を言わなくなったり。不登校という環境上、学校や友達より、家族との時間が増えてしまう。そうしたら余計に親の心情は伝わってしまう。
僕、私のせいで。。。
と自然に思わせてしまうのではないか、って思うのです。もし、親が不幸だ、って感じているのなら。
実際、もちろん、いろいろ将来の不安や、現在大変なこともあります。
学校いかないから、将来どうなるのか、や勉強不安。
でも、気付いたんですよね。
学校行ってたら、将来の不安とか勉強の度合いに、真剣に向き合うことなかったんじゃないかなって。
学校に行っていることでレールの上で物事が進んでいくから、敢えて、
「ちゃんとした将来にするには、どれほどの勉強が必要で、どんなことをしたら将来生活できるのか」
なんて、自分事としてあまり考えなかったんじゃないかと。
進路指導票を書いて、受験勉強をして、受かったり落ちたり。その落ちた時に初めて向き合う。
それが早くなっただけ。そう思います。
逆に、親が元気で動けて、サポートできるうちに、社会と対峙しなければならないタイミングがくる、これは逆にラッキーなことだと思っています。
そして、将来の「~大学」「~会社」っていう、
レールから外れてしまったことで、今を真剣に考えざるをえない。
今を大事にしなきゃならないことを、今気づける、それってすごく大事なことだと思います。
だから、不登校は大変ではあるけど、マイナスではないと私は感じています(^^♪
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